押し返されて面食らったものの、瑠駆真は大して動じない。中途半端に伸ばした腕を曲げ、やがてその手をゆっくりと、ズボンのポケットに突っ込む。
そうして、瞠目したまま硬直する聡に向かって、小首を傾げた。
「練習はどうしたの? サボリ?」
「っヤロー ………」
肩にかけたスポーツバックが、ドサリと床へ滑り落ちる。
「俺のいない間に抜け駆けかよ? やってくれるじゃねーかっ」
地を這うようなドスの効いた声を吐き、目を細めて美鶴を見やる。
「美鶴……」
視線を向けられ、生唾を飲む。どうすればよいのかわからず、しばらく目を泳がせ、だが結局は聡と向き合う。
「みつ――」
「誤解しないでっ」
早口で遮る。
「私は別に……」
「美鶴の意思とは無関係ってワケか」
瑠駆真へ視線を戻し、顎をあげて舌を打つ。
「相変わらず手の早い男だな」
「ずいぶんな言われ様だね」
「下種がっ」
「それも誤解だ。何かあったワケじゃあない」
「十分あり過ぎてるよ」
首をまわしてコキッと鳴らす。
「虫の知らせってなぁ、あるもんだな。気になって来てみりゃ、このザマかよ?」
胸の前で、指の関節を鳴らす。
「覚悟はできてんだろうなぁ?」
「やめろっ!」
思わず叫んでしまった。
これから何が起こるのか――― 考えたくもない。
「やめろっ」
震える声と共に、美鶴はすばやい動きで聡の脇を駆け抜ける。咄嗟に伸ばされた聡の腕を思いっきり振り払い、外へ飛び出し振り返った。
「オマエ達には………」
両手に拳をつくり、ありったけの声で叫ぶ。
「オマエ達には、うんざりだ―――っ!」
そうしてそのまま背を向け、駆け出した。
「美鶴っ!」
慌てて追おうとする瑠駆真の胸倉に、聡の腕が伸びてくる。
――――――ッ!
殴られたと理解した時には、すでに建物の隅へと吹っ飛ばされていた。
血の味が広がる口に手の甲を当て、半身を起こす。振り切った腕もそのままの聡と、目が合う。
「お前は追うな」
「君に指示される覚えはない」
「下種には追わせねぇ」
「君が言うのか?」
「何?」
血の滲む口の端を拭う相手に、目をむく。
「僕に取られるのが、そんなに我慢ならないのか?」
「ったりめーだろっ! おめぇになんかやらねぇよっ」
「ならなぜ、バスケ部なんかに入った?」
返す言葉がなく、唇を噛む。
「まるで美鶴から手を引いたかのようだ。そう思われてもおかしくない。そうは思わないか?」
開け放たれた入り口から、一陣の風が舞い込む。うなじできっちりと結んだ聡の髪を吹き上げ、瑠駆真の前髪をサラリと乱す。
「美鶴との時間を僕に提供しておきながら、手は出すなだと?」
艶を宿す瞳の、暗く影を落す場所。そこに浮かぶのは、怒りか憤りか?
「よく言うな? 君ならできるのか?」
「何?」
「君なら、美鶴との二人だけの時間を、平常心のまま過ごせるのか?」
聡の胸中に、熱い想いが湧き上がる。
嫉妬に我を見失う自分。果たして心乱さぬまま、悠然と何日も美鶴との放課後を、過ごせるだろうか?
「手を伸ばせば、そこに居る」
黒々とした瞳。
「邪魔者はいない」
氷のような冷たい光。
「こんな状況で何もせず、美鶴のそばに居られると思うか?」
無感情というワケではなく、むしろ抑えきれないほどに溢れる情熱。
「想像してみろっ」
空が翳る。
「拷問だよ」
辺りが暗くなる。雨が降るのだろうか? 気配を察したらしい鳥たちが、忙しく公園を飛び回る。
「僕にはできない。する必要もない。そもそも君に気を遣う道理は、僕にはないんだ。こんな状況を作ったのは、他でもない君なんだからね」
壁に背を凭れさせて立ち上がる。
「悪いのは ――――君だ」
睨み合う二人の間を、湿った風が吹き抜けた。
「バスケ部なんぞに入って、何を考えている?」
探るような視線を、聡はチッと舌を打って外した。
「お前にはカンケーねぇよ」
「じゃあ、美鶴は僕のモノだ」
遠くで子供を呼ぶ母親の声。まるでこの建物の中だけ、外界とは切り離された異空間であるかのよう。それほどに室内には緊張が立ちこめ、外にはのんびりと時が流れる。
「遠慮はしない」
「―――― やらねぇよ」
聡はギュッと拳を握った。
「お前に美鶴は、やらねぇよ」
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